あかなまの"想い出づくり"

はてなブックマークで書いたコメントの余談と補足と自分語り。

男の子はお姫さまになれるのか? 「応援」と「呪い」と「祈り」の話

いろいろな立場から議論が巻き起こっている「男の子だってお姫さまになれる!」論争ですが、
あちこちにブコメを書いていて、なんとなく自分の考えがまとまってきたので、こちらに書いておきます。
 

<事前共有>

自分はプリキュアシリーズは見たことがないので、プリキュアシリーズで当然の前提とか文脈は理解できていません。
なので、解釈違いはお手数ですがご指摘お願いしたいです。
また、そういった門外漢な立場なので、プリキュアは「どうあるべき」という話ではまったくありません。
 

プリキュアから感じたスタッフの信念、のようなもの

発端となったエントリーはこちら↓

 

プリキュアが「男の子だって、お姫さまになれる」に言及したのは、けっこう凄い事。 - プリキュアの数字ブログ

“人の心をしばるな!” “君のために、僕を変えることは出来ない” / そういえば、スーパーマリオオデッセイのピーチ姫はクッパに捕らわれる姫だったけど、ゼルダの伝説BotWのゼルダ姫はガノンと戦う英雄だった。

2018/06/11 00:11

 

 “女の子の心を”とか“男の子の心を”ではなく、“人の心をしばるな!”。

しびれますね。「本人の意思を尊重せよ」というメッセージ。

 

今回のお話ではジェンダーが題材になってますが、このテーマはジェンダーに限ったことではないと思います。

 

プリキュアは別に純粋な教育番組でもないわけだから、

悪いスタッフなら「テキトーにキラキラさせておもちゃ売っちゃえー」となっても全然責められない状況で、こんな難しい、火中の栗を拾うようなテーマを作品に盛り込む、その矜持に感心しましたよ。

商売っ気抜きで、番組をみる子どもたちへの強い信念があるんだろうなーと感じました。

 
 

■「男の子だって、お姫さまになれる」は本当?

で、一方ではこういうエントリーも立ち上がりました。↓

 

「男の子だって、お姫さまになれる」が呪いにしかならない理由

あー、なるほど。お姫さまは自分で「なる」ものじゃなくて、周囲から「認められる」ことで初めて成り立つものだもんね。これはこれでよく分かる。 / “応援するって難しい”ね。

2018/06/11 02:34

 男の子だってお姫さまになれるのか?と問われれば、(本人の意思とは関係なく)ほとんどの男の子は「なれない」訳で、「なれる!」なんて言って、変に期待させるのも無責任じゃないか、というのも確かに一理あるな、とも思いました。

 

コメントしてて、この2つの見方が自分の中で両立するのは、なんでだろうと考えたわけです。

 

■「応援」と「呪い」

今回のお話、自分としては、これは“お姫さまを目指す男の子”へ、プリキュアからの「応援」と解釈しました。
そして、過去のプリキュアでは、そういう「応援することの難しさ」(≒呪い)についても触れられていたようです。 

「十分がんばっているヤツに、がんばれ言うのは酷」これを言える今年のプリキュアは、強い。 - プリキュアの数字ブログ

プリキュア見てみようかなぁ…。

2018/03/05 00:57

b.hatena.ne.jp

 

例えば松岡修造は「君ならできる!」とか言うじゃないですか。

本当にできるかわからなくても、「君ならできる!」と相手を信じて応援する。

果たしてそれは、無責任なのか。呪いなのか。

 
綺麗ごとや上辺だけで応援していたら、確かに応援が呪いになることもあるのかもしれない。
だけど、
  • 商売っ気抜きの信念が感じられるプリキュアなら
  • 世の中に「お姫さまになりたい男の子」がいることを知っているプリキュアなら
  • 応援することの難しさを解っているプリキュアなら
きっと半端な気持ちで応援しているわけではないんじゃないかな、と思い至ったわけです。
(いや、放送見てないんだけども。)
 
 

■「応援」と「祈り」

 
あと、関連してこんなことも思い出しました。
5人戦隊モノの特撮で、今までレッドを女性が務めていないのがこの国の限界 - サブカル 語る。

そういえばすっかり忘れていたけど、ひろみちお兄さんがいた頃の『おかあさんといっしょ』って「ライオンになりたい女の子 女の子になりたい男の子 いいないいな なれたらいいな」って歌でお別れするんだった。

2018/06/11 08:33

おかあさんといっしょ』では「ライオンになりたい女の子」「女の子になりたい男の子」を、「なれる!」じゃなくて「なれたらいいな」と歌っていた。
これは「応援」じゃなくて「祈り」だなと。

 

調べたらこの歌(「あ・い・うー」)が登場したのは1996年だったようですが、今から20年以上も前に、幼い子どもたちに「祈る」ことで、本人の意思を肯定していたのはさすがでしょう。

 

そして純粋な教育番組である『おかあさんといっしょ』と異なり、
ある種、玩具メーカーの販促企画の側面があるプリキュア(身も蓋もない言い方)が、
スポンサーの意向に沿いながら、このメッセージを伝えたことも、同じくらい尊いことだと思っています。