あかなまの"想い出づくり"

はてなブックマークで書いたコメントの余談と補足と自分語り。

ときどき知らない人たちの舞台やライブを見に行く

「好き」を仕事にするには覚悟が必要ーー街を愛する文筆家・甲斐みのりさん - はたらく気分を転換させる|女性の深呼吸マガジン「りっすん」

“好きなことを仕事にすると嫌いになるからやめた方がいい、という人もいますよね。” / 自分の場合、まさにそれ。好きでも嫌いでもないものじゃないと仕事として長続きしない。

2018/08/22 13:36

b.hatena.ne.jp

 

普段お仕事で全方位のステークホルダーに配慮しながら、自分には必要ないものを、必要としている誰かに売る、という行為を繰り返していると、何か自分の中の軸が大きく歪んでいくように錯覚するときがある。
経済活動としては当たり前のことをしていて、何も悪いことをしていないのに(むしろ資本主義的には良いことしてるのに)、何か心が殺伐とする。

我々はきっと意識しなければ表層のことしか見えない。
「キラキラとした成功者の日常」や「ストーリーのある一点モノ」に本当に価値があるのかと、疑ってしまう。
そういう想いが私の心の軸を歪ませてしまうのかもしれない。

そういうとき私は、知らない人たちがやっている「一般受けしない作品」を見にいく。

そういう作品はだいたい観客は身内ばかりなので、受付に行くと「どちらの演者さんの紹介ですか」とか言われたりするので気まずい。だけど見に行く。

いまの世の中、「一般受けする作品」ほど目にする機会が増えたと思う。
それはSNSやメディアで「一般受けする作品」は拡散され、多くの人の眼に留まるようになっているからだ。つまり「一般受けする作品」ほどメディアや生活者の力添えで安価・手軽に知れるようになっている。
一方「一般受けしない作品」は、ネットでも誰も感想を語らず、話題にも上がらないまま、存在自体がひっそり忘れ去られていく。
相対的に「一般受けしない作品」は金と手間を掛けなければその存在を知ることができない。
そういうネット紀元前とは逆の現象が起こっていると思う。

決して「売れる/売りたい」とは限らない表現を非効率的に発表し続ける存在に触れると、そういう私の歪みが癒される気がしている。

経験上、いわゆるアングラな作品であっても根っからクレイジーな人というのはほとんどいない。
むしろふだんはマイノリティであることを自覚し、日陰で控えめに生活していたりする。(そして、同好の者にやさしい。)

作品そのものではなく、行為に触れに行くのは失礼かもしれないと思いながら、私はそれでも見に行ってしまう。私自身のために。