ふと想い出した吹奏楽部だったころの話
《部活が変わる 吹奏楽部は今》“ブラック部活”とささやかれ… 大会過密「見直しを」(上毛新聞) - Yahoo!ニュース
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中学の時に吹奏楽部で金管楽器やってたけど、3年まで続けて初めて「ホントの音が出た!」って思った。
2019/07/30 13:24
そういえば私は中学生のころ、吹奏楽部だった。
そして部活の一学年上にはテナーサックス担当の先輩がいた。
先輩の名前も今ではすっかり忘れてしまったが、確か結婚前の矢口真里っぽい雰囲気があったはずだ。
少し不良っぽいところがあって、校則で禁止されてる黒タイツをよく履いていて、
髪もオキシドールで少し茶色にしていた。
男子によくモテていた。
そして、部活中はよく『プチセブン』を読んでいた。
わたしの学校の吹奏楽部は、コンクールでガチに賞を狙いに行く、という意気込みがなく、上下関係もさほど厳しくない、ゆるふわ部だった。
矢口似の先輩とは特に仲が良かったわけではないが、私が最後に部室を閉める当番のときは、だいたい矢口先輩は残っていて、たまに他愛もない話をするのだった。
私が2年、矢口先輩が3年のころだったか、
とにかく先輩にとって最後の大会になるコンクールに出場し、私たちは「優秀賞」をいただいた。
「優秀賞」といっても、確か私たちが出たコンクールの評価には、良い順に「最優秀賞」「優秀賞」「優良賞」というのがあって、「最優秀賞」が1校だけ、あとは「優秀賞」と「優良賞」が半々くらいだったはずだ。
要は「優秀賞」というのは「合格」程度の意味合いで、特に優れた演奏でもなかったということだ。
でもまあ、ゆるふわ部な私たちにしてはよくやった方だよねと我々2年は適当に喜び、いい想い出になったと3年の先輩方は少し泣いたりしていた。
そんな中で、矢口先輩は3年の誰よりも泣いていた。
意外だった。
先輩は「最後に最優秀賞が欲しかった」と言って、本当に悔しそうに泣いた。
私なんて「コンクールは強制的に出場させられる学校イベントの1つ」程度にしか考えていなくて、それでなんだかヘラヘラしているのが先輩に申し訳なくて、その場しのぎに私も悔しいふりをして見せたりした。
私は勝手に、先輩にはきっと部活よりも大切なものがあるんだろうと思っていた。
私は矢口先輩のことを何も知らなかった。
結局、矢口先輩は吹奏楽が強くて部活がめちゃくちゃ厳しい高校に進学した。
卒業式の日、先輩に「音楽好きだったんですね」と言ったら
「あたし、やっぱりサックス好きなんだよねー。」と言って
「あとのこと、よろしく頼むね」と言って手を振って別れた。
それが最後。
それっきり会っていない。
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この前、ブルース系のバンドのライブを見る機会があって、テナーサックスのソロパートを聴いていたら、なんだか急にそんなことを思い出した。
こんなことすっかり忘れていたのに。
矢口先輩は音楽の道に進んだんだろうか。
それとも何か違う道に進んだんだろうか。